僕の最初の師匠 絵本作家の岡田よしたかさん

若き頃の岡田よしたかさん

当時、僕は大阪市生野区にある福祉作業所「わだち作業所」で働いていました。
作業所の近くに「いどばた共同保育所」があり、そこにモンキー岡田という風変わりな男性が働いていました。

その頃、僕は「ブルース」と名乗り、
「はじめまして、ぼくブルースです」と挨拶すると、
「わし、モンキー」と岡田さんは不思議なダンスを踊って自己紹介。

当時僕は18歳、岡田さんは37歳。
携帯やスマホがまだ世に出ていない、1993年の熱い夏の出会いでした。

わだち作業所の代表、光田さんは岡田さんと親しい友人で、ある日、
「岡田さんを師匠にしたらいい」と僕に告げ、僕はその時から、岡田さんの弟子になりました。
光田さんは、僕の性格を見抜いて、岡田さんのマイペースな生き方を参考にしたらいいという、優しさでした。

岡田さんは、保育士というより、面白い親戚や近所のお兄さんという感じで、子どもたちとの接し方も自然体。そしていつものんびり、マイペース。

岡田さんは、いどばた共同保育所で働きながら、「流石バンド」のギタリストとして活動。
当時、大阪のでんでんタウンにあったジーンというライブハウスで、ライブを行うことになり応援に行きました。

スポットライトを浴びて、ステージに立った岡田さんは、僕の知っている、のんびりマイペース脱力系の岡田さんとは全くの別人で、ギターを演奏しながら、陽気に踊り、ハイテンション。
「うわぁ、師匠、めちゃ、かっこええやん!!!!」

岡田さんの絵のイベントなどがある時は、一緒にお伴し、弟子という名目で社会勉強させていただきました。まだ10代だった僕には、何もかもが新鮮でした。

のちに、僕は報道写真家の牧田清さんと出会い、写真家を志しますが、岡田さんとの関係は、共通の知人、友人が多かったので続いていました。

2001年、福音館書店から「おーいペンギンさーん」でメジャーデビューされた時は、他人事とは思えず、本当に嬉しかったです。

それから10年後「ちくわのわーさん」が第3回リブロ絵本大賞を受賞。
「うどんのうーやん」、「こんぶのぶーさん」など、食べ物をテーマにしたシュールな内容と大阪弁で人気シリーズに。

僕は岡田さんから、絵を学んだことはありませんが、ひとつだけ大きなことを学びました。それは、「マイペースに自分の好きなことを続けること」

僕は写真をはじめて25年ほどが経ちました。
途中、何度も挫折はありましたが、モンキー岡田よしたかという人物が身近に存在したおかげで、こうして今も頑張って続けています。
岡田さんの絵は、僕が最初に出会った頃と、変わっていません。
絵本作家になる前から、岡田さんの絵は完成されていて、時代が岡田さんの才能に追いついたと思います。

添付した写真は、1995年に撮影した京都鴨川、アルミ缶のリサイクルの活動で僕が撮影したものです。
現在、岡田さんは63歳、写真は岡田さんが39歳から40歳の時です。
チェック柄の赤いシャツを着ていますが、絵本の授賞式や最近撮影された岡田さんの写真も、チェック柄の赤いシャツ!!!
絵だけでなく、ファッションのセンスもブレていない、モンキー岡田師匠!!